寺院で聴いた話(仏教)

 曹洞宗の考え方

 修証一如(しゅしょういちにょ)…修行と悟りとは同じである。修行している状態こそ悟りである。坐禅修行の姿そのものが仏・悟りである。

 犬にも仏性(ぶっしょう)は有るか?…有る無しを超越せよ。 “言うまでもなく有る” という立場(長光寺)。

 ヒンドゥー教はカーストを肯定するが、仏教はカースト否定の立場(功運寺)。

 坐禅は、ただ座る、それだけのこと。そこに結果はない。何が叶うというものでもない。何も考えない、思いを巡らさない。無念無想を良しとする。 “焼香、礼拝、念仏、修懺(しゅうさん)、看経(かんきん)を用いず、只管(しかん)打坐(たざ)あるのみ”。修懺(しゅうさん)(しゅうさん・・懺悔(さんげ)の法を修して 身心を清浄にする)。

 “葬式は仏道修行者のやることではない。神道に任せておけ”。

 “天皇や政治には関わるな”(道元禅師)。

 不立(ふりゅう)文字(もんじ)、教外(きょうげ)別伝(べつでん)…文字や言葉による教義の伝達のほかに、体験によって伝えるものこそ真髄であるという意味。

 五蘊(ごうん)皆(かい)空(くう)…五蘊(ごうん)とは、からだ(色(しき))とこころのはたらき(受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき))の五つ。「わたし」という五蘊(ごうん)は、皆な空(くう)(ずっと同じ、決まったものとしては取らない)である、とみる見方。(永平寺別院長谷寺(ちょうこくじ)、松田講師)

 縁…まわりの人とかかわることで「わたし」はあらわれる。(永平寺別院長谷寺(ちょうこくじ)、松田講師)

 


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