最初のレースは覚えていない。でも、競馬を好きになった理由は覚えている

競馬を初めて体験した日のことを、実はあまり覚えていない。
どのレースを買ったのかも、当たったのか外れたのかも、はっきりしない。
普通なら一番印象に残りそうな場面なのに、不思議なものだと思う。
ただ一つ覚えているのは、「よく分からなかった」という感覚だけだった。

その日は、競馬のベテランに付き添ってもらって、
ビギナー向けのセミナーを受けるところから始まった。場所は、東京競馬場。
新聞の見方や、馬券の買い方。
ひとつひとつ丁寧に説明してもらったはずなのに、
正直なところ、ほとんど頭に入ってこなかった。
緊張していたのかもしれない。
それとも、思っていた以上に情報が多かったのかもしれない。
周りは「なるほど」と頷いているように見えるのに、
自分だけが置いていかれているような気がして、少し焦った。

いざ馬券を買う段階になっても、その感覚は変わらなかった。
買い方が、思っていたよりもずっと複雑に感じた。
「単勝」「複勝」だけではなく、いくつも種類があって、
どれをどう選べばいいのか分からない。
結局、そのときは流れに任せるようにして、なんとか買った。
でも、自分で選んだという実感は、あまりなかった気がする。

今振り返ると、あの日の競馬は、
「楽しんだ」というより「ついていくのに必死だった」という方が近い。
だからなのか、レースの記憶がほとんど残っていない。

そんな自分が、「自分で選んだ」と感じられた最初の出来事は、
少し時間が経ってからだった。
年末の中山競馬場、障害競走。
オジュウチョウサンという馬が出ていたレースだった。
名前は以前から聞いたことがあった。
障害競走で強い馬がいるらしい、という程度の認識だったと思う。
そのときは、なぜかその馬を軸に買ってみようと思った。
理由ははっきりしない。知識というより、感覚に近かった。
そして、3連単という買い方を選んだ。
正直、完全に理解していたとは言えない。
それでも、「これでいこう」と決めたのは、自分だった。

レースの詳細よりも、覚えているのは結果の瞬間だ。
当たった。
それも、自分の中では思っていたより大きな形で。
驚きの方が先に来た。
「本当に当たることがあるんだ」という、どこか現実感のない感覚だった。

ただ、不思議なことに、強く残っているのは「お金」のことではない。
それよりも、
「自分で選んで、その結果が出た」という感覚の方だった。
最初のときは、何も分からずに流されていた。
でもこのときは、少なくとも自分で考えて、自分で決めた。
その違いは、自分の中ではかなり大きかった。

競馬というと、どうしても勝ち負けやお金のイメージが先に来る。
もちろん、それも一つの側面だと思う。
でも、自分の中で印象に残っているのは、
「分からないところから始まって、少しずつ自分で選べるようになった」
その過程の方だった。

最初から全部分かる必要はなかったのだと思う。
むしろ、分からないまま始めて、
少しずつ自分なりのやり方を見つけていく。
競馬は、そういう楽しみ方もできるものなのかもしれない。

投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ:

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です