この信仰は巷で言われているように、確かに難しい面がある。それは聖天さまをご本尊とする、待乳山聖天(東京浅草)のご住職も言っておられた。とにかく、うるさいくらいにしきたりに厳しいそうである。他にも、忌服の際にお寺を参拝するのを遠慮したほうが良い、など(ただし緊急のお願いの場合はOK)。
仏教の守護神、*天部の神さまであられる聖天さまを信仰すれば、文字通りに何でも叶えていただけるというわけなのだが、一方で人を選ぶとも言われている。オールマイティーな力を持っている聖天さまだが、この点こそが聖天信仰はハードルが高いと言われる由縁であろう。
*このサイトが参考になります。
待乳山聖天で、その礼拝作法を伝授していただいた。
ここの信仰は、具体的には、この作法を毎日(出来れば朝夕)繰り返すのである。真言を称えることもこの作法の中に含まれている。
仏教の守護をしている天部の神さまでは有るが、「解脱・悟り」をお願いごととすることも出来るのだということだった(聖夫婦より)。
聖天さまにお願いしたいことの有る方は、寺院からその方法を尋ね実践するのが良いですが、お寺を参拝した際には、聖天さまの好物である甘いものやお酒をお供えすると良いでしょう。
ここに「聖天信仰の手引き」という本がある。著者は、林屋友次郎 という方。待乳山聖天さんの寺務所にも置かれてあった。**書店には流通していない本なので注意(初版は昭和35年、自分のものは第6版(平成22年))。自分はこの本のお陰で、聖天信仰に取り組む決心がついた。
**ここで取り扱っています。
信者の心得として、十二条が挙げられている。この十二条はしっかり読み込む必要があると思う。以下にお示しします。
一、ほんとうの信仰とは、聖天様にひたすらお縋りして、一切をあげておまかせすることである。
二、信仰は、うまず、たゆまず、一生涯つづけることが肝要である。お札は自宅に祀ってもよいが、御尊像は祀らぬ方がよい。
三、身も心も清めて、お詣りしなくてはいけない。また、忌服の時や御婦人の汚れの間は、直接のお詣りは遠慮するほうがよい。
四、お詣りは、ご利益を少しも疑わず、純真な心持ちで一心不乱にお祈りすること。
五、お願いの叶わぬときは、いまだその時期でないのか、誤った願い方をしていたか、または聖天様のお気持ちに反するような、お詣りの仕方をしていたからであるから、特に反省してみる必要がある。
六、どんな無理なお願いをしてもよいし、その達成に努力精進することは言う迄もないが、あとの結果は聖天様の思し召しにおまかせするがよい。
七、熱心に信仰するほかに、自分の力の足りない所は、御祈祷を頼んで行者に、その心願成就をお祈りしてもらう方が早い。
八、信者の熱心と行者の法力と聖天様の妙智力との、三カ冥合の結果、心願が、成就するのだから、御祈祷を頼んでおけばよいと、あんしんしていて、お詣りを怠けていてはいけない。
九、心願が叶い、ご利益を頂けたら、聖天様へ感謝の念を忘れず、御加護を頂いた聖天様のお寺へはもちろん、広くは社会のため、少しでも奉仕の布施行を心がけないと、つづいて御加護は頂けない。
十、いくら熱心でも、いつまでも「我欲」のみの信仰をしていては、聖天様の思し召しに添わないから、いつかは見離されて、大きなご利益は頂けない。よくよく心すべきである。
十一、お願いには浴油供か華水供の御祈祷をお願い、また成就の暁、感謝のお礼には大般若経の転読か百味の御供養を、奉修してもらうがよい。もちろん浴油供でも差し支えない。
十二、世間では「聖天様は恐い神様」だとか、「子孫の七代までの福を一代にとる」とか色々に言いふらされているが、何の根拠もない、迷信的な伝説故少しも気にしない方がよい。
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